ユニバーサル訴訟・山岡編集長だけ刑事告訴|独立系の非対称性

ユニバーサル訴訟と山岡編集長の刑事告訴をめぐる独立系ジャーナリズムの構造的非対称性を劇画調タイポグラフィで表現したアイキャッチ画像 編集長語録
同じ疑惑を報じても、媒体によって裁判の結末は分かれる。ロイターは勝ち、朝日新聞は部分勝訴、アクセスジャーナルは完敗、そして山岡編集長だけが刑事告訴まで受けた。この非対称性は何を意味するのか。

はじめに

前回の記事で、私はアクセスジャーナル・山岡俊介編集長と公認会計士・能勢元氏の名誉毀損訴訟について書いた。山岡編集長が一審・控訴審ともに全面敗訴し、損害賠償144万円の支払いと謝罪文の掲載を命じられたあの裁判だ。

その中で、私はもう一つの敗訴事例にも軽く触れた。ユニバーサルエンターテインメント株式会社(旧社名アルゼ)との訴訟である。山岡編集長は2012年に同社のフィリピンでのカジノ事業をめぐる疑惑を報じ、訴えられた末、2015年に最高裁で敗訴が確定している。

このユニバーサル訴訟には、能勢元訴訟と並べて読むと見えてくる、独立系ジャーナリズム特有の非対称性がある。同じ疑惑を報じた3つの媒体――アクセスジャーナル、ロイター、朝日新聞――の結末が、媒体ごとに大きく分かれた事例だ。そして山岡編集長だけが、民事訴訟に加えて刑事告訴まで受けることになった。

この記事で扱いたいのは、訴訟の勝敗そのものではない。同じ疑惑を報じても媒体によって結末が分かれる構造的な理由と、独立系の小さな媒体だけが刑事告訴という法的圧力を受ける現実だ。

念のため最初に書いておく。私はユニバーサル社の疑惑そのものの真偽を判断する立場にない。同社は当時の報道を強く否定しており、本記事はその否定の存在も含めて事実関係を整理したうえで、ジャーナリズムをめぐる構造の問題を考察するものだ。

動画で語られていたこと

ユニバーサル訴訟の渦中、山岡編集長が公の場で発言した動画が残っている。

特定秘密保護法の問題を議論する集会と思われる場で、山岡編集長は短いスピーチをした。動画タイトルは「山岡俊介氏『ユニバーサルエンターテインメント』からの刑事告訴について語る」。

山岡俊介氏「ユニバーサルエンターテインメント」からの刑事告訴について語る

スピーチの主要な発言を紹介する。

私は企業や政治家のスキャンダルを専門にしています。実は今、カジノやパチンコをやっているアルゼという上場企業のユニバーサルエンターテインメントと民事訴訟をずっとやっています。昨日、その企業が自社のホームページのIRで、名誉毀損と信用失墜で東京地検に私を刑事告訴して受理されたという発表をしていました。

ここまでが事実の確認。続けて、山岡編集長はこの一件の構造的な問題を語る。

この件は、うちが一番最初に書いて、朝日新聞やロイター通信が追随して報道しました。そのため、現在はうちも含めた3者が被告として民事訴訟をやっている状態です。ところが、私だけが刑事告訴され、しかもそれが受理されたという内容が昨日のIRに載っていました。

そして、報道環境そのものへの懸念へと話が進む。

20数年こういう事件を追っていますが、昔なら民事訴訟はなかなかやらなかったのに、今はどんどんやってくるようになりました。(中略)大手メディアが書けば民事だけで済むのに、こちらのような媒体が書くと刑事告訴までされる。こういう大きな流れがあり、企業スキャンダルの専門家を自負している身としては、本当にひどい世の中になってきたと感じています。

この動画の発言は、ジャーナリズムにおける構造的非対称性を当事者の言葉で示した記録として、極めて重要な意味を持つ。同じ疑惑を報じた3者のうち、独立系の小さな媒体だけが刑事告訴まで受けるという現実。これは制度の問題なのか、相手企業の戦略なのか。

そのことを考えるには、まず報じられた疑惑そのものと、その後の3者それぞれの結末を整理する必要がある。

アクセスジャーナルが報じた疑惑――フィリピン・カジノ建設をめぐる接待疑惑

ユニバーサル訴訟の発端となった報道の内容を、当時の公開情報の範囲で整理する。

ユニバーサルエンターテインメントは、パチスロ機の製造を主力としつつ、海外でカジノ事業にも参画している上場企業だ。同社はフィリピン・マニラでカジノリゾート建設を計画し、暫定免許を得て事業を進めていた。

このプロジェクトに関連して、2012年に複数の媒体が疑惑を報じた。報じられた内容の核心は、同社がフィリピン政府高官やカジノ規制当局の側近に多額の接待・現金提供を行ったとされる疑惑であり、米国の海外腐敗防止法(FCPA)違反容疑で米国当局が捜査に乗り出したと報じられたことだ。発覚の起点となったのは、同社と敵対関係にあった米国のカジノ企業ウィン・リゾーツ社が公表したとされる調査報告書だった。

報道の順序を時系列で整理すると、最初に書いたのがアクセスジャーナルである。山岡編集長は2012年10月にこの疑惑を独自に報じた。その後、ロイター通信が2012年11月16日と30日に、朝日新聞が2012年12月30日朝刊1面トップで、相次いで関連報道を行った。

ユニバーサル社は3社の報道に対して、いずれも強く否定する見解を公表した。同社は記事の内容を「事実無根」とし、「悪意に満ちた報道」「組織的な反社会的活動」とする表現で抗議。各社に対して法的措置を順次取っていく。

ここまでが、3者が同じ疑惑系列の報道を行い、それぞれが訴えられるまでの背景だ。

繰り返し書いておくが、私はこの疑惑の中身そのものの真偽を判断する立場にない。各社が報じた内容と、ユニバーサル社が公表した反論の存在と、その後の裁判の結末を整理することで、ジャーナリズムをめぐる構造の問題を考えたい。

民事訴訟の経緯と判決――一審・控訴審・最高裁で完全敗訴

アクセスジャーナルに対する民事訴訟は、3審すべてで山岡編集長の敗訴という結末を迎えた。経緯を整理する。

ユニバーサル社は2013年中にアクセスジャーナル・山岡編集長を東京地裁に提訴した。

一審判決が出たのは2014年1月20日。東京地裁は、ユニバーサル社側の主張を全面的に認める判決を下した。アクセスジャーナル・山岡編集長に命じられたのは、慰謝料165万円の支払い、謝罪広告の掲載、そして該当記事の削除である。報道側にとっては極めて厳しい一審判決だった。

山岡編集長は控訴した。控訴審判決は2014年6月11日に東京高裁で言い渡された。結果は一審の実質的維持。謝罪広告の掲載部分のみが取消されたが、慰謝料支払いの命令は維持された。一審判決の認定の大筋は覆らなかった。

最終的に山岡編集長は最高裁に上告したが、2015年4月17日に最高裁第二小法廷が上告を棄却。判決は確定した。3審を通して、山岡編集長は完全敗訴の結末を迎えたことになる。

ここまでが民事訴訟の全体像だ。しかし、ユニバーサル社が山岡編集長に対して取った法的措置は、民事訴訟だけではなかった。

山岡編集長だけが刑事告訴された――不起訴処分で終わるまで

民事訴訟と並行して、ユニバーサル社は山岡編集長を刑事告訴した。

告訴罪名は、信用毀損罪・業務妨害罪・名誉毀損罪。告訴先は東京地検だ。ユニバーサル社は自社IRで「東京地検が告訴を受理した」と公表した。動画で山岡編集長が「昨日のIRに載っていた」と語ったのは、この受理発表のIRと推測される。

ここで重要なのは、同じ疑惑系列を報じた3者のうち、ユニバーサル社が刑事告訴に踏み切ったのは山岡編集長だけだったということだ。ロイター・朝日新聞は民事訴訟のみで、刑事告訴は受けていない。

山岡編集長はこの非対称性を動画で明確に指摘していた。「大手メディアが書けば民事だけで済むのに、こちらのような媒体が書くと刑事告訴までされる」。当事者の口からこの構造が語られたことは、極めて重い証言だと私は受け止める。

その後、刑事告訴はどう進んだか。東京地検は2014年12月、不起訴処分とした。

「不起訴処分」の意味を整理しておきたい。これは「検察が起訴しないと決定した」という処分であり、無罪判決とは違う。不起訴には嫌疑なし・嫌疑不十分・起訴猶予など複数の類型があり、いずれに当たるかで意味合いは異なる。本件の具体的な不起訴類型は、公開情報からは確認できていない。

ただし、検察が起訴を見送ったという事実は明確であり、山岡編集長は刑事責任を問われずに済んだ。告訴側から見れば、告訴の目的を達成できなかった結果である。刑事面では、山岡編集長にとって最も望ましい着地だったとは言える。

ユニバーサル訴訟の全体像をまとめると、こうなる。民事は完全敗訴、刑事は不起訴。同じ事件をめぐって、法的判断が異なる結末を出した珍しい構造だ。

アクセスジャーナル側の訴訟経緯
2012年10月
アクセスジャーナルがフィリピン・カジノ事業をめぐる疑惑を最初に報道
2013年
ユニバーサル社がアクセスジャーナル・山岡編集長を東京地裁に提訴。並行して山岡編集長を刑事告訴(信用毀損罪・業務妨害罪・名誉毀損罪)
2014年1月20日
東京地裁・一審判決。慰謝料165万円・謝罪広告掲載・記事削除を命令
2014年6月11日
東京高裁・控訴審判決。一審をほぼ維持。謝罪広告掲載部分のみ取消、慰謝料維持
2014年12月
東京地検が刑事告訴を不起訴処分
2015年4月17日
最高裁第二小法廷が上告を棄却。民事敗訴が確定

ロイター・朝日新聞・アクセスジャーナル――分かれた3者の結末

ここから、同じ疑惑を報じた3者それぞれの民事訴訟の結末を並べたい。これが、ユニバーサル訴訟が示した非対称性の核心だ。

ロイターの結末

ロイター通信に対する民事訴訟は、最高裁まで進んだ末、2017年7月にロイターの勝訴で確定した。最高裁がユニバーサル社の上告を棄却した形である。ロイターの報道内容の真実性が裁判所に認められたことになる。

朝日新聞の結末

朝日新聞は、結末はやや複雑だ。一審では330万円の支払いを命じる判決が出たが、二審で判断が大きく動いた。問題となった記事4本のうち3本について真実性が認められ、賠償額が33万円に減額されたのだ。この二審判決は2017年2月に最高裁が双方の上告を棄却し、確定した。朝日新聞は完勝ではないが、完敗でもない。「部分勝訴」と評価できる結末である。

アクセスジャーナルの結末

アクセスジャーナル・山岡編集長は、3審すべてで敗訴。慰謝料165万円の支払いと、判決確定が命じられた。同じ疑惑系列を報じた3者の中で、唯一の完敗である。

この対比を、視覚的に並べて見たい。

ロイター
完勝
2017年7月、最高裁がユニバーサル社の上告を棄却。ロイターの勝訴で確定
朝日新聞
部分勝訴
二審で記事4本中3本が真実認定、賠償額33万円に減額。2017年2月に最高裁が双方の上告を棄却し確定
アクセスジャーナル
完敗
3審すべて敗訴。慰謝料165万円・記事削除を命じられ、2015年4月最高裁で確定。加えて刑事告訴も受けた(不起訴処分で終結)

同じ疑惑を報じても、媒体によって結末がここまで違う。これは何を意味するのか。

なぜ勝敗が分かれたか――取材体制と組織力の差

私は、この差を生んだものは報じた内容の真偽そのものではなく、媒体ごとの「立証の質」の差だと判断する。前回の能勢元訴訟の記事でも書いた通り、日本の民事名誉毀損訴訟では、報道側に真実性または真実相当性の立証責任がある。「報じたことが嘘だと相手が証明できない」だけでは足りない。報道側が「これは真実だ」と裁判所に納得させる必要がある。

その立証力は、媒体の取材体制と組織力に大きく依存する。

ロイターは国際的な通信社であり、グローバル規模の取材網を持つ。フィリピン現地、米国、日本国内のそれぞれで一次資料を集める体制が整っており、関係者へのアクセスも組織として確保できる。社内には法務部があり、訴訟対応の専門家が常駐している。

朝日新聞は日本を代表する全国紙だ。国内の取材力に厚みがあり、関係者の証言を組織として確保できる。一審で全面敗訴したものの、二審までに4本中3本の真実性を立証しきった。この粘り強さは、組織としての取材体制と法務体制があったからこそ可能だっただろう。

アクセスジャーナルは編集長一人の独立系メディアだ。山岡編集長は経験豊富なジャーナリストだが、ロイターや朝日新聞と同じ取材リソースを持っているわけではない。フィリピン現地での裏付け取材、米国の規制当局への接触、内部証言者の確保。これらを組織として動員する力は、構造的に大手と独立系では差がある。

報じた疑惑の中身が同じであっても、立証の段階で必要な「証拠の質」を法廷で示す力が違う。これが3者の結末を分けた構造的要因だと、私は読む。

念のためもう一度書いておくが、これは「アクセスジャーナルが報じた内容が真実だった」という主張ではない。アクセスジャーナルが立証しきれなかったという裁判の結果と、報じた疑惑そのものの真偽は、別の次元の問題だ。前回の記事と同じ論点である。

上場企業がIRで「告訴受理」を発表する圧力構造

ユニバーサル訴訟には、もう一つ注目すべき構造がある。ユニバーサル社が自社IRを通じて、刑事告訴の受理や訴訟の進行状況を逐次公表したことだ。

IR(投資家向け情報開示)は、本来は投資家に対して企業の経営状況を伝えるための制度である。上場企業として適時開示の義務を果たすという意味では、訴訟に関するリリースを出すこと自体は正当な企業活動だ。

しかし、それが報道メディアへの圧力としても機能する側面は否定できない。「○○社を名誉毀損で刑事告訴した」「東京地検が受理した」という事実が、上場企業のIRとして公式発表されると、それだけで世間には「悪事を報じた疑いの媒体」という印象が立つ。不起訴処分や、最終的な訴訟結果がどうあれ、IRが出された時点で「この媒体は何か悪いことを書いて告訴された」というラベルが先行してしまう。

大手の通信社や新聞社は、こうしたIRが出ても組織の信用が直ちに揺らぐわけではない。読者基盤も広告基盤も厚い。一方で、独立系の小さな媒体は、有料購読者の信頼と読者基盤に直接支えられている。「告訴された」というIRが出ただけで、購読解約や信用低下に直結する可能性がある。

これも、構造的非対称性の一形態だと私は判断する。同じIRが出ても、それが媒体に与える打撃の重さが、媒体規模によってまったく違う。

20年で報道環境はどう変わったか――山岡編集長の証言から

動画で山岡編集長が語った中で、私が特に重く受け止めた一節がある。

20数年こういう事件を追っていますが、昔なら民事訴訟はなかなかやらなかったのに、今はどんどんやってくるようになりました。(中略)本当にこの20数年で報道ができなくなったというか、やりづらくなったと感じています。

これは現役のジャーナリストの実感としての証言だ。

訴訟を武器にした報道封じが、世界的にも問題視されるようになって久しい。スラップ訴訟(戦略的口封じ訴訟)と呼ばれる手法は、欧米でも独立系メディアやジャーナリストへの圧力として議論されている。勝敗の見込みが薄くても訴える、訴え自体で相手の活動を消耗させる。そういう構造が日本でも広がっているという山岡編集長の証言は、20年以上現場に立ち続けた者の実感として、重い。

動画の末尾で、山岡編集長は特定秘密保護法への危機感も語っていた。

そこに加えて今回の秘密保護法の件まで加わったら、本当に何もまともに報道できなくなるとひしひしと感じています。絶対に阻止しなければいけないと思っています。

法制度と訴訟戦術が組み合わさって、独立系ジャーナリズムへの圧力が複合化する。それを20数年前と比較できる立場から証言できる人は、決して多くない。

それでも山岡編集長は書き続ける

ユニバーサル訴訟は、独立系ジャーナリズムにとって最も厳しい類型の敗訴事例だ。

民事訴訟で完敗し、慰謝料165万円を支払い、関連記事の削除を命じられた。同じ疑惑を報じた大手2社のうち、ロイターは完勝、朝日新聞は部分勝訴。アクセスジャーナルだけが完敗。そしてアクセスジャーナルだけが刑事告訴まで受けた。

これだけの圧力を受けて、ふつうなら筆を折ってもおかしくない。

しかし山岡編集長は、その後も書き続けている。能勢元訴訟、unbanked社との係争、玉木雄一郎・国民民主党代表の実弟氏に関する取材。攻める記事の対象を変えながら、独立系メディアの編集長として現役を続けている。

私はこの「書き続ける姿勢」自体に、ジャーナリズムの本質的な何かがあると感じる。

完全な勝率を求めるなら、攻める記事を書かなければよい。法的リスクの低い、無難なテーマだけを扱えば、訴訟は減る。けれど、それは独立系ジャーナリズムの存在意義そのものを放棄する選択だ。

攻める記事を書くということは、立証ハードルとの戦いを引き受けるということだ。負けることもある。完敗することもある。刑事告訴まで受けることもある。それを背負ったうえで、それでも書く。

ユニバーサル訴訟は、その覚悟の重さを私たちに教えてくれる事例だと、私は読む。

前回の能勢元訴訟の記事で、私は「裁判で負けても記事が嘘だったわけではない」と書いた。ユニバーサル訴訟も同じ構造の中にある。立証できなかったという裁判の結果と、報じた疑惑の真偽は別の次元の問題だ。そして、同じ疑惑を報じた媒体間で結末が分かれる構造を直視するならば、独立系メディアの完敗を「内容が嘘だった証明」として読むことの危うさが、より明確に見えてくる。

私は今後もアクセスジャーナルを読み続ける。ユニバーサル訴訟の完敗と刑事告訴の重みを知ったうえで、そう判断している。攻めた末に背負う代償と、それでも書き続ける編集長の姿。そこにジャーナリズムの本来の姿があると、私は信じている。

出典・参考