『噂の真相』とは何だったのか
話の前に、若い読者のために『噂の真相』という雑誌について少しだけ整理したいと思います。
『噂の真相』は1979年3月に創刊され、2004年4月に休刊した月刊総合誌です。編集発行人は岡留安則。新宿に本社を置き、「政・官・財・芸能・暴力団あらゆるタブーに挑戦する」を売りに、25年間にわたって反権力スキャンダルジャーナリズムの拠点であり続けました。
私が出版業界に入ったのは『噂の真相』休刊の数年後ですが、先輩編集者たちが「アレが終わった時、日本の雑誌ジャーナリズムは半分死んだ」と語っていたのを覚えています。休刊時の発行部数は総合月刊誌で『文藝春秋』に次ぐ第2位。赤字で潰れたのではなく、編集長の岡留氏が自ら「絶頂の時に辞める」を選んだのです。
岡留氏の人物像は、足立倫行氏が2019年に書いた追悼エッセイ「合掌、岡留安則『噂の真相』の美学」(Wedge ONLINE)に詳しく書かれています。
岡留氏の外見は意外にも「優男(やさおとこ)」風。下品な言動をせず、人権尊重のフェミニストで、楽天的。「大変モテた」が、付き合うのは常に「特定多数」の女性で、生涯独身を貫きました。
口癖は「俺はウチの雑誌と結婚してるから」。岡留氏は足立氏の取材にこう語っています。
「僕自身が刺されるのは覚悟の上で仕方ないけど、妻や子どもが万一犠牲者になったりしたら、とても耐えられない」
「刺されるのは覚悟の上」が口先でないことを示す事件が、ほどなく起きます。2000年6月、編集部に乗り込んできた右翼の男に岡留氏は太股を刺され、全治40日の怪我を負いました。
それでも『噂の真相』は休まなかった。そして2004年、岡留氏は「雑誌が黒字で絶頂の時に惜しまれつつ辞めるのが僕の美学」と言い切って、自らの手で雑誌の幕を引いたのです。
ここまでが、山岡編集長が「精神的母」と慕う人物のプロフィールです。
山岡編集長を作った3人の男——岡留・金沢・伊藤
山岡俊介編集長の経歴をWikipediaで見ると、こう書いてあります。
神奈川大学法学部法律学科卒。法政大学大学院日本史学修士課程中退。零細編集プロダクションに2年半在籍し、29歳よりフリーに。1991年1月より『週刊大衆』の専属記者を務めながら、『噂の真相』『財界展望』などを中心に記事執筆。
ところが、この淡々とした経歴の背後に、もっと生々しい物語がありました。山岡編集長は2019年と2024年、自分のサイトに2本の追悼記事を書いています。読んでみると、彼自身の口から「噂真出身」というキャリアの起点が、人と人の紹介の連鎖だったことが明かされています。
それは、3人の男に振り回された3年間の物語です。
1人目:岡留安則——試験に落としてくれた男
山岡編集長は学生時代に『噂の真相』の存在を知り、「タブーなき反権力雑誌」というコンセプトに共感しました。書店に並ぶ一般誌のなかで、こういう雑誌は他にはなかった。
そして、社員試験を受けた。結果は——落ちた。
前回の記事でも触れた通り、ご本人は動画の中でこう振り返っています。当時の編集部は女性記者を採用することにしたため、男性の自分は落とされた、と。「俺、落とされたんだよ」と笑って語っていらっしゃいました。
普通ならここで終わる話です。だが山岡編集長は、落ちた後も諦めなかった。常連ライターとして『噂の真相』に記事を書き続けることで、岡留編集長との関係を維持した。
岡留氏はそれを見ていて、何かを感じたのでしょう。山岡氏に次の道を紹介してくれます。
2人目:金沢誠——縁がなかったベテラン記者
岡留氏が次に紹介したのは、『週刊宝石』のベテラン記者・金沢誠氏。形式的な試験を受ければ採用されるはず——ところが、なぜか不採用。
不採用の理由は後日、ご本人が動画で説明しています。当時『週刊宝石』と『噂の真相』のあいだには対立関係があったらしく、実績アピールのために『噂の真相』掲載記事を持参したことが裏目に出た。「この男はスパイになるのではないか」と編集部に警戒され、それで落とされた、と。
これも普通ならショックな話です。だが山岡編集長は、後年こう振り返っています。
人生とは皮肉で、通っていたら金沢氏の専門だった芸能関係の記者に本紙・山岡はなっていただろう。また、『週刊宝石』は2001年1月に廃刊になるから路頭に迷ったはず。
出典:<訃報>本紙・山岡のジャーナリストの先輩で、恩人が死去(アクセスジャーナル、2024年5月11日)
この一節、私は編集者として唸りました。落ちたことを「結果オーライ」と笑える時間が経った、ということ。そして金沢氏が「縁がなかった」のではなく「縁があった範囲で関わってくれた」と受け止めていること。山岡編集長の人物観の温かさが、こういう細部に出ています。
3人目:伊藤博一——大久保で1年弱「書生」した師
岡留氏が3人目に紹介したのが、当時すでに有名な事件記者だった伊藤博一氏。山岡編集長はこう書いています。
伊藤氏はすでに当時、有名な事件記者で、本紙・山岡は伊藤氏に雇われ、毎日、東京・大久保の伊藤氏の自宅兼事務所に通った。そこで初めて『四季報』を見るようになり、週刊誌、経済誌の事件関係の取材の手伝いをしていた。ほとんど書生という感じだった。
「ほとんど書生」。
これも編集者として唸る描写です。「書生(しょせい)」という言葉自体、いまの出版業界ではまず使わない。明治・大正の文豪宅で原稿の使い走りをしながら文章を学んだ若者を指す古語に近い表現です。山岡編集長はこの大正的——あるいは昭和初期的——な徒弟制度的言い回しに、自分のキャリアの出発点を重ねています。
毎日大久保に通って、『四季報』をはじめて手にする。週刊誌・経済誌の事件取材の手伝いを引き受ける。これが約1年弱。
そして、この時期に何が炸裂したか。
1 人目
岡留安則
精神的母
『噂の真相』社員試験で山岡氏を落とし、その後の道筋を全部紹介してくれた人。「強い者イジメ」の系譜の元祖。
2 人目
金沢誠
縁がなかった師
『週刊宝石』のベテラン記者。岡留氏が紹介してくれたが「スパイになりそう」と警戒され不採用。結果オーライ。
3 人目
伊藤博一
技術的父
大久保の事件記者。自宅兼事務所で1年弱、山岡氏を書生として迎え入れ、経済事件取材の基礎を全部叩き込んだ人。
イトマン事件と1990年——書生が見た景色
伊藤氏の事務所で1年弱、書生もどきをしていた時に弾けたのが戦後最大の経済事件といわれたイトマン事件だった記憶がある。
これも山岡編集長自身の言葉です。
イトマン事件は1990〜1991年に発覚した特別背任・住友銀行・許永中らを巻き込む、日本戦後最大の経済スキャンダル。総額数千億円規模の不正経理が動き、住友銀行、暴力団、地上げ、政治家、芸術品まで絡んだ複合事件として、いまも経済事件取材の教科書になっています。
その渦中に、ジャーナリスト見習いの山岡氏が、大久保の伊藤事務所で「書生もどき」をしていた。
これは、想像するに、若い記者が原体験として手にできる最高クラスの修業環境です。
新人時代の最初の1年で、戦後最大の経済事件の取材現場の近傍にいる。『四季報』を生まれて初めて開く。週刊新潮、財界展望、毎日新聞社会部の先輩たちと同じ事務所に出入りする。
ここで身についた「経済事件取材の体感」が、その後30年以上の山岡編集長の取材スタイルの土台になっている。私はそう確信します。
そして1990年1月、伊藤氏は山岡氏を『週刊大衆』に紹介します。欠員が出たという。同時に滑り込んだのが、月刊経済誌『財界展望』(現『ZAITEN』)の編集者だった木元英策氏。山岡氏はそこから34年以上『週刊大衆』で禄を食むことになります(ご本人が記者人生を振り返る動画のタイトルにも「1990年1月、『週刊大衆』専属記者になり34年」と明記されています)。
「禄を食む」。
この言葉もまた、山岡編集長らしい。江戸時代の武士が藩から俸禄をもらう感覚で、自分の週刊誌専属記者としての30年強を表現しています。
ちなみに、伊藤博一事務所に同じ時期に出入りしていた顔ぶれが豪華です。
| 氏名 | 当時の所属 | 現在 |
|---|---|---|
| 須田慎一郎 | フリージャーナリスト | 経済ジャーナリスト・テレビコメンテーターとして著名 |
| 草野敬 | 『週刊新潮』 | — |
| 田口智 | 『週刊新潮』 | — |
| 中森貴和 | 帝国データバンク | 企業信用調査の最大手企業 |
| 氏名不詳 | 毎日新聞社会部記者 | — |
経済事件取材の同世代ネットワークが、大久保のこの事務所を起点に形成されていた。山岡編集長が現在も鋭い取材力を持っている背景には、こういう「同じ釜の飯」を食った人脈の蓄積があります。
「噂真出身」を名乗る男
ここまで読んでいただくと、山岡編集長のキャリアの源流は学歴ではなく、人と人の紹介の連鎖だったことが見えてきます。
そして本人は、それをはっきり自覚しています。
山岡は自分のジャーナリストとしての経歴をいうなかで「噂真出身」と公言しているほどだ。
出典:本紙”生みの親”ーー『噂の真相』元編集長・岡留安則氏が肺がんのため死去(アクセスジャーナル、2019年2月3日)
「噂真出身」。
神奈川大学法学部出身、法政大学院日本史学修士課程中退、ではなく、「噂真出身」。
ここに山岡編集長のジャーナリストとしての自己定義があります。学校で何を学んだかではなく、誰の系譜に連なって、何を継承しているか。それがこの人のアイデンティティの核です。
そして継承している中身は、岡留路線の——
政治家や大手企業など”強い者”に物申す「スキャンダルリズム」、「ゲリラリズム」
山岡編集長のプロフィールに書かれた「興味のあること強い者イジメ」は、この岡留路線を昭和の悪ガキ言葉で翻訳したものだったわけです。
編集者として私が興味深く思うのは、山岡編集長の文体に「デッチ奉公」「書生」「禄を食む」といった大正・昭和的な言い回しが頻出することです。
「『噂の真相』DNAを継ぐ」と直接書かずに、「噂真出身」と短く言い切る。「徒弟修行をした」ではなく「デッチ奉公をした」と書く。「給料をもらってきた」ではなく「禄を食む」と書く。
この語彙選択は、本人の自然な口癖でもあるのでしょうし、同時に「私は組織人ではなく職人の系譜です」という暗黙のブランディングでもあります。
師たちの死と1人になった男
そして、山岡編集長の周りでは、師たちが次々に亡くなっていきました。
- 2001年1月『週刊宝石』廃刊(金沢誠氏の所属誌)
- 2004年4月『噂の真相』休刊
- 2019年1月31日岡留安則氏死去(71歳、肺がん、那覇市)
- 2024年5月伊藤博一氏死去(67歳、糖尿病合併症)
山岡編集長と縁の深い「3人目で当たり」だった伊藤博一氏は、2024年5月に67歳で他界しました。山岡編集長によれば「大の酒好きで、糖尿病が悪化し、約10年前に深刻に健康を害し、5年ほど前からは透析を始め、ジャーナリスト活動ができなくなっていた」(訃報記事より)。
事件記者が接待・夜回り・取材源確保のために飲酒を重ね、それが身体を蝕んでいく。これは出版業界の昔ながらの職業病でもあります。私の知り合いの先輩編集者にも、同じ経路で身体を壊した人がいます。
伊藤氏の告別式に山岡編集長は参列しました。そこに居合わせた、あるいは祭壇に名前があった顔ぶれが、山岡編集長の現在の人脈図を物語っています。
伊藤博敏氏——1955年生まれ、講談社『黒幕』『同和のドン』等の著書で知られる経済ジャーナリスト。山岡編集長と同名異人の「もう一人の伊藤」です。
森功氏——ノンフィクション作家。『官邸ポリス』『総理の影』等のベストセラー著者。
門脇護氏——ジャーナリスト。
そして祭壇に名前があったのは『週刊大衆』『週刊新潮』『東京新聞』の記者一同。
つまり山岡編集長は、表面的には「孤立した個人サイト運営者」のように見えるけれど、人脈的には大手出版社・新聞社の社会部・経済部の調査報道記者たちと地続きでつながっているのです。
そして、岡留氏追悼記事の最後で、山岡編集長はこう書きました。
岡留氏の意志はいくらか引き継いでいるつもりだ。
「引き継いでいる」と断言せず、「いくらか」と付ける。「つもりだ」と曖昧に締める。
私はこの「いくらか」「つもりだ」に、岡留路線を背負って一人で歩く66歳の謙虚さと覚悟を感じます。
新宿7丁目の灯
最後に、山岡編集長の現在の風景を整理しておきたいと思います。
株式会社アクセスジャーナルの登記住所は〒160-0022 東京都新宿区新宿7-10-8。電話番号は03-3203-3017、FAX 03-3203-3018。公式サイトの特定商取引法に基づく表記に明記されています。
地理的に見ると面白いことに気づきます。1989年頃に山岡氏が「書生もどき」をしていた伊藤博一事務所は東京・大久保。現在のアクセスジャーナル登記住所は新宿7丁目。この二つは隣接地域です。
つまり山岡編集長は、書生時代から現在まで約35年間、新宿東部エリアで一貫してジャーナリスト業を続けています。
しかも、ここを舞台にした被害履歴があります。2000年12月〜2001年2月の自宅電話盗聴(武富士事件)、2005年7月の自宅放火(ジャーナリスト宅放火事件)。いずれも自宅が標的になった。それでも、山岡編集長は事務所住所を公開し続けているのです。
YouTube『深層追及』の動画を見ると、撮影は明らかに自宅か事務所の居室。スマホかタブレットの内蔵カメラで撮ったらしく、専門機材は使っていません。背景にはテレビ、棚、ファイル類が並びます。
そして——猫の写真入りカレンダー、額入りの猫写真、シーサー風の置物、招き猫のフィギュア、コルクボードに留めた写真や紙片など、生活そのものの私物が見えるのです。
ある動画では、テディベアの刺繍が付いた白いキャップをかぶって登場することもあります。
私はこの「素顔」のギャップが、たまらなく好きです。
上場企業の株価操縦疑惑を追い、暴力団と政治家の癒着を暴き、自宅を放火されても怯まずに書き続ける66歳の男が、テディベアのキャップをかぶり、猫グッズに囲まれて、スマホで動画を撮っている。
これは演出ではない。岡留安則路線の「商業性より中身」「装備にカネをかけない」「自分が刺されるのは覚悟の上」というスタイルが、令和の自宅兼事務所に染み出してきた結果です。
絶滅したDNAの最後の灯
私が今回辿った系譜を整理します。
- 1979年3月岡留安則が『噂の真相』を新宿で創刊
- 1989年頃山岡俊介が試験で落ちる→岡留氏が伊藤博一を紹介→大久保で書生
- 1990年1月山岡氏が『週刊大衆』専属記者として滑り込み
- 2001年1月『週刊宝石』廃刊
- 2004年4月『噂の真相』休刊
- 2006年5月山岡氏が『アクセスジャーナル』を新宿7丁目で立ち上げ
- 2019年1月岡留安則死去
- 2024年5月伊藤博一死去
- 2026年現在山岡編集長66歳、新宿7丁目で1人で書き続ける
『噂の真相』も『週刊宝石』も廃刊。岡留も伊藤もこの世にいない。同期だった須田慎一郎氏はテレビコメンテーターとして大手メディアの世界で活躍し、伊藤博敏氏は講談社の経済ジャーナリストとして安定したポジションにいる。
その中で、山岡編集長だけが、岡留路線の「タブーなき反権力スキャンダリズム」を、新宿7丁目の自宅兼事務所から続けているのです。
絶滅したと思われていた『噂の真相』DNAの、最後の灯。
編集者として、私はこういう仕事のし方が好きです。一人で立つ仕事は脆く、頼りなく、そしてそれゆえに尊い。
ファンとして、私は山岡編集長に長く続けてほしいと思っています。組織に守られず、装備にカネをかけず、生活空間で動画を撮りながら、それでも「強い者イジメ」を続ける。この姿が次の世代にとってどれほど貴重な参考事例になるか、いまの私たちにはまだ計りきれません。
山岡編集長、健康にはどうか気をつけて。猫グッズが似合うキャップ姿で、これからも書いてください。
出典・参考リンク
山岡俊介編集長自筆の追悼記事
- 本紙”生みの親”ーー『噂の真相』元編集長・岡留安則氏が肺がんのため死去(アクセスジャーナル、2019年2月3日)
- <訃報>本紙・山岡のジャーナリストの先輩で、恩人が死去(アクセスジャーナル、2024年5月11日)
山岡編集長自身が記者人生を振り返る動画
- 1990年1月、「週刊大衆」専属記者になり34年。山岡俊介氏が記者人生を振り返る(アクセスジャーナルch)
岡留安則氏の人物像(足立倫行氏のエッセイ)
- 合掌、岡留安則『噂の真相』の美学(Wedge ONLINE、2019年2月22日)
Wikipedia関連
アクセスジャーナル公式
このブログの過去2記事
更新履歴
2026年5月21日:初出。

