アクセスジャーナル山岡俊介編集長がもっと好きになった話|素朴な経歴と34年

アクセスジャーナル山岡俊介編集長の素朴な経歴と三十四年余りの記者人生を採用試験落ちや大学院中退も含めて劇画調タイポグラフィで表現したアイキャッチ画像 番組レビュー
この記事では、山岡編集長が34年余りの記者人生を振り返る動画と、公開されているプロフィールを並べながら、私が抱いていた「闘う独立系ジャーナリスト」のイメージが、もっと素朴で等身大の人物像に書き換わった経緯を整理します。

山岡編集長の動画を見て、印象が変わった話

武富士の武井保雄会長(当時)を逮捕に追い込み、安倍元首相自宅放火未遂事件を「ケチって火炎瓶」のフレーズで世に問い、いまも上場企業を相手に係争を続ける。アクセスジャーナル編集長・山岡俊介氏のイメージは、私の中では「闘う独立系ジャーナリスト」でした。

ですから、勝手にこう想像していたのです。きっと出発からして華々しかったのだろう、と。早稲田か慶應を出て大手新聞社か出版社の花形記者、それを飛び出してフリー転身、みたいな。

ところが先日、ご本人が34年余りの記者人生を振り返る動画を拝見して、その想像はすっかりひっくり返りました。語られていたのは、私が思っていたよりもずっと素朴で、ずっと等身大で、率直に言って「親しみが湧く」歩みだったのです。

今日はその発見を、編集長の公開プロフィールと動画での語りを並べながら整理してみようと思います。

改めて経歴を並べてみる

山岡編集長の経歴は、公式サイト・Wikipedia・著書プロフィール等で公開されています。これを順に並べると、こうなります。

  • 1959年8月愛媛県生まれ
  • 高校高知県立高知追手前高等学校
  • 大学一浪して上京し、神奈川大学法学部法律学科へ
  • 大学院法政大学大学院人文科学研究科に進学(日本史学・近現代史専攻)、修士課程を中退
  • 大学院中退後零細編集プロダクションに2年半在籍
  • 29歳フリーランスとして独立
  • 1991年1月『週刊大衆』専属記者となり、『噂の真相』『財界展望』等に記事を執筆

並べてみると、いわゆる「エリート街道」とはずいぶん違う道筋です。一浪、大学院中退、零細編プロ。20代のうちは試行錯誤を続け、フリーになったのも29歳と決して早くない。

私は編集者として現役で20年弱仕事をしていますが、こういう「直線で進まなかった人」のキャリアにはいつも親しみを覚えます。山岡編集長もまさにその系譜の人だったのか、と。

「採用試験に落ちた」話を笑って語る人

動画の中でいちばん印象に残ったのが、採用試験に落ちた話を屈託なく話していたことです。

ひとつは『噂の真相』。当時の編集部が女性記者を採用したため、ご本人は落とされた、と。「俺、落とされたんだよ」と笑って語っていらっしゃいました。

もうひとつは『週刊宝石』。こちらは『噂の真相』との対立関係が背景にあって、ご本人が実績アピールのために『噂の真相』の記事を持参したところ、編集部から「スパイになるのではないか」と警戒され、不採用に。

普通、これだけ実績を積んだ人が「採用試験に落ちた」エピソードを動画で公開するでしょうか。しかも自虐でもなく恨み節でもなく、ただ淡々と「落ちたんだよ」と。

さらに、ご本人はこう続けます。「あの時もし採用されていたら、その後の雑誌の廃刊で路頭に迷っていたかもしれない」。失敗を巡り合わせとして受け止める、この柔らかさ。私はここに、長く第一線で書き続けてこられた強さの一端を見た気がしました。

駆け出し時代の「調べ方を知らなかった」自白

もうひとつ動画で驚いたのが、駆け出し時代の「調べ方を知らなかった」という話です。

ご本人は当時、西田氏の気功に関する告発記事を扱っていました。本来であれば、道場の運営実態を裏付けるために登記簿謄本を取って法人格を確認するなど、初歩的な調査をすべきところです。ところがご本人は、当時その「登記簿謄本の取り方」自体を知らなかったと正直に振り返っているのです。

「調べ方があることを、そもそも理解していなかった」とまでおっしゃっていました。

これは私にとっては結構な衝撃でした。武富士の盗聴事件を告発し、世界有数の億万長者であった武井保雄会長を塀の中に追いやった人の出発点が、これほど普通の駆け出しだったのか、と。

そして同時に、納得もしました。最初から「全部知っている人」など、いない。誰でも知らないところから始まる。手に入れるべきスキル、たとえば登記簿の取り方、四季報の活用術といったものを、地道に身につけながら歩いてこられた。それが30年以上の積み重ねの実体だったのだと。

これは編集者として独立した私自身も同じです。独立当時は税務もインボイスも契約書のひな型も、何ひとつ自前で持っていなかった。ひとつずつ覚えていくしかなかった。だからこの「調べ方を知らなかった」という告白は、すごく身近に感じられたのです。

等身大だからこそ、続けられたのではないか

ここまで動画と公開プロフィールを並べてきて、私なりに整理した「山岡編集長を応援したくなる、もうひとつの理由」をまとめておきます。

理由 1
組織の外で始まったから、組織に頼らない記者でいられた

大手新聞社・大手出版社の社員記者として出発していたら、定年まで「組織人としての記者」だったかもしれません。神奈川大学法学部から大学院中退、零細編プロを経てフリーになった経歴は、最初から「組織の外」で始まっています。だからこそ、組織に依存しないジャーナリズムが30年以上続けられたのではないか、と私は思うのです。

理由 2
失敗を笑って話せる人だから、敗訴も誤報も自分の言葉で語れる

採用試験落ちの話を屈託なく公開できる人は、敗訴も誤報も自分の言葉で語れます。ユニバーサル訴訟の敗訴確定も、アジャイル誤報事件の自主公表も、私はこの「失敗を隠さない人格」と地続きだと感じます。隠す人は、隠したまま終わってしまう。

理由 3
巡り合わせを受け入れる柔らかさが、30年以上続けられた根っこにある

「あの時受かっていたら路頭に迷っていたかも」と笑って振り返るあの柔らかさは、結果に執着しない強さでもあります。短期的な成否に一喜一憂しないからこそ、長距離を走り続けられた。私はそう読み取りました。

私はこの動画を見て、山岡編集長への親しみがぐっと増しました。

「闘う独立系ジャーナリスト」というラベルだけを貼っていた頃よりも、ずっと等身大の人物として、信頼に足る記者として、輪郭がくっきりしてきたのです。

これからも応援していきます。

出典・参考:

更新履歴

2026年5月22日 初版公開